辻村深月「琥珀の夏」を読んで~カルトがカルトになる理屈

80代後半にして読書家の父が、「面白かったよ」と手渡してくれた本です。安倍元総理の事件が起きる前に書かれた小説ですが、改めて今読み直すと感じるものがあります。

辻村深月「琥珀の夏」

幼い友情と記憶、忘却、罪をめぐる圧巻の物語
大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。

かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。

圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。

文藝春秋社の紹介より (https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913803)

全548ページ

先日読んだタラ・ウェストーバー著「エデュケーション」から”狂信”というキーワードで思い出した本です。

少女の感性の綺羅綺羅感が表現されている

主人公のノリコが参加した”ミライの学校 ”という自然を愛する団体の夏合宿、そこでノリコは、同じ年頃の子供達と純粋な友情を育みます。親と離れた合宿で、一緒に参加した同じ学校の友達との微妙な関係を不安に思う気持ち、友達の中での自分の立ち位置を確認する様子、孤立している自分に対して優しくしてくれる新しい友達に対する憧憬と親愛など、少女の頃感じていた繊細な感情を透明感溢れる描写で表しています。

少女の頃って「自分を親友と思っているのは誰か、誰と誰が喧嘩した」とかそんなことが最大の関心事でした。孤独や嫉妬や優越感や色んな感情が日々渦巻いていたと思います。とても小さくてとても濃密な世界でした。

読んでいて自分が小学生だった頃の胸が苦しいような気持ちを思い出しました。綺羅綺羅した純粋で美しい宝石のような時代だったなとは思うのですが、だからと言ってあんな面倒臭い時代にもう一度帰りたいとは絶対に思いません(笑)。

純粋すぎる人たちのユートピア

”ミライの学校”は、宗教団体ではありませんが、敷地内に湧き出る泉を聖なるものとし、子供をその親から離して別々の生活をさせていました。その考え方は、健康で安全な食事と集団生活を通して子供の自主性や考える力を引き出すもので、ある種のユートピアとも言える環境のなかでの子育てでした。

ノリコのように夏合宿に一時的に参加する子供たちは一週間程度それに触れるだけなのですが、親子で入村した子供達は、親に会えるのは一年に何度かのみ。社会主義の実験のような生活です。当然、子供は親が恋しくて寂しくて愛着障害と諦めのような感情を行き来します。

一方入村を決めた親には特長があります。学歴に関わらずとても「真面目」ということです。突き詰めて考え、子供のために人としての「理想の教育」を求めてミライの学校に託しています。親自身も仕事を辞め、この団体のために働き特殊な生活をしています。

このミライの学校に関わる人達は本当に純粋です。純粋すぎます。純度100%は弱い。金でも24金よりも18金のほうが強いですよね。混ぜ物がある程度入ったほうが強度があります。

以前、「ヤマ〇〇会で育った子供が、一般社会に出てお金の価値が全く分からずに苦労する話」をネットのインタビューで読んだことがあります。村を出る時に20万円もらったのですが、当時の彼は20万円あったら家が建つと思っていたそうです。仕方ないのでせめて車をと思い10万円の車を買ったら乗り出しに8万円かかってしまって18万円になってしまった。ガソリンいれて高速に乗ったら残金8千円になってしまった。その8千円で東京でアパートを借りようと思ったら全然足りないことに気が付かされた、という内容で読んでいて思わず笑ってしまいましたが、お金に全然触れてこなかった彼は貨幣価値が分からなかったのですよね。その会ではお金は汚いもの、という概念だったのでしょうね。

これはかなり極端な例だったけれど、あまりにも面白く書かれていたので記憶に残りました。

カルトがカルトになってしまう理屈

また中野信子の本からの請け売りになってしまいますが、「双子語」という言葉があるそうです。双子の間だけに通じる言葉です。双子の約40%に存在するという説もあるそうですが、大抵は子供のうちだけのもので、人間関係が外に開かれる年代になると自然に無くなってしまうものだそうです。

皆さまのご家庭でも、家族だけに通じる言葉はありませんか? なにかの現象やルールを表す言葉だったりします。閉じた世界、ローカルなコミュニケーションですね。

双子にしても家庭にしても、また会社という組織の中でも、閉じた世界の中で共通言語を使っていると、やがてその中で独自の価値観と倫理観が生まれやすくなるそうです。

私も身に覚えがあります。20代後半で東京に戻ってきたときに入社した会社は今で言うブラック企業でした。毎日、社長や幹部上司の話を聞いて残業漬けになって「会社=自分の世界」になってしまった頃がありますが、今思えばその頃の私の価値観は特殊なものでした。

黒歴史でもあり思い出すと恥ずかしいのですが、その会社を辞めた後で幼馴染の友人と飲んだ時に、「今だから言うけれどあの頃のあんたはおかしかった!」と言われて、ハッと気が付かされました。ブラック企業から比較的ホワイトな会社に転職が成功し、頑張ろうと思っていたちょうどその時で、しかし何故だか分からないけれど、新しい会社で浮いてしまっている自分に「なんでだろう」と疑問に思っていたのが、その友人の言葉で「そういうことだったのか」と腑に落ちました。

そのブラック企業にも独自のローカルルールがあり、言葉がありました。毎日その中に浸っているうちに、私もいつの間にか洗脳されてしまっていました。だから私はカルトは決して特殊な世界では無いと理解しています。また時々田舎など人の出入りが少ない土地で、そこだけのローカルルールが強固になってしまって、治外法権的なこと (横溝正史を想像してください) が発生したりしますが、これも理屈は同じなのかなと思っています。時々、世間が驚くような犯罪を犯してしまう企業がありますが、これもしかり。

最後に

少女時代の夏、綺羅綺羅しながらもほろ苦く、その中に複雑な影をも閉じ込めた琥珀のような小説です。時を経てもその琥珀の内包物は変わらなく、しかしそれを取り出して理解する主人公の目は大人と少女の間を行ったり来たりします。

全ての大人にぜひ読んで欲しい本だと思います。

(ライター晶)

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